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設立について
勝山城博物館は、勝山市の名誉市民第一号に選ばれた多田清さん(明治38年1905~平成3年1991)が平成元年から3年の歳月をかけて建設し、平成4年7月に開館いたしました。同時に財団法人多田清文化教育記念財団が設立され運営にあたってまいりました。財団は平成25年度よりさらに公益性の高い公益財団法人として認められ、現在にいたっています。

江戸時代、小笠原氏が治めた勝山藩には天守はありませんでした。早い段階で建設計画はあり、幕府の認可も降りていましたが、財政が苦しく実現しないまま明治を迎えました。昭和も後半に入ると勝山藩や勝山城の遺構は次々と失われていきました。多田さんは勝山にかつて一つの藩が確かに存在したということを、博物館建設という形で実現し、現在の勝山市の新たな顔の一つとしてこの博物館を築きました。

「勝山城」という語の使用には語弊があるとのご指摘もありましたが、勝山藩の願いの部分的な実現という思いも込め、あえて博物館名に冠しております。
【開館20周年記念動画(福井テレビ2014年制作)
(イベントに変動がございます。ご了承ください。)
建物の概要
この建物は城郭建築とは違いますが、石垣から一番の上の鯱までの高さは57.8メートルあり、天守の形に建てられた建築物としては最も高いものです。

石垣は花崗岩(御影石)で6,500個(7,500トン)を積み上げてあります。石垣の高さは15メートルあり、その表面に9頭の巨大な龍の彫刻が施されています。通常城郭の石垣にはこういった彫刻はありませんが、当館が博物館であると認識いただくためと、勝山市を流れる九頭竜川及び恐竜化石にちなんで施したものです。

鯱は青銅製金箔二押しで13個あり、最大のものは高さ2.4メートル、重さは750キログラムもあります。博物館の延床面積は4,434㎡、敷地面積は20,715㎡です。周囲は数千本の植栽がある日本庭園となっており、四季折々の景観を楽しむことができます。